2022年09月13日
死なないで!殺さないで!生きようメッセージ集パート33
いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
委ねる
反対車線のトラックに突入する
誘惑に何度もかられ
(神奈川県・男性・67歳)
妻は58歳頃からもの忘れが始まりました。その頃まだ看護師をしていましたが、患者さんの名前とか薬の名前を忘れないよういつもメモし、深夜まで整理して忘れないよう努力していました。その当事つけていた10年日記にも、もの忘れに苦しんだことを書いてあります。
その後病気が進行し、平成15年にアルツハイマー病の診断を受けました。言葉はほとんど失いました。反社会的な行為、徘徊も始まりました。玄関前で排便したり、外出先では平気で万引をしました。
妻は旅行が好きでしたのでよく車で旅に出ました。そんな時、何もかも終わりにしようと、反対車線のトラックに正面から突入したらどんなに楽になるのかと思い、誘惑にかられることが何度もありました。でも残された家族のことを考えると、できませんでした。私自身、腰と腕が痛み、これ以上の自宅介護は限界があると思い、平成17年有料老人ホームに入居させました。
それから約3年、妻は終末期を迎えたので、今は自宅介護に戻しました。あの時、反対車線に行かないでよかったと思います。いま、妻は一言も言葉を発しませんが、私の顔を見るとニコニコしています。残された日々、何か幸せも感じています。
委ねる
反対車線のトラックに突入する
誘惑に何度もかられ
(神奈川県・男性・67歳)
妻は58歳頃からもの忘れが始まりました。その頃まだ看護師をしていましたが、患者さんの名前とか薬の名前を忘れないよういつもメモし、深夜まで整理して忘れないよう努力していました。その当事つけていた10年日記にも、もの忘れに苦しんだことを書いてあります。
その後病気が進行し、平成15年にアルツハイマー病の診断を受けました。言葉はほとんど失いました。反社会的な行為、徘徊も始まりました。玄関前で排便したり、外出先では平気で万引をしました。
妻は旅行が好きでしたのでよく車で旅に出ました。そんな時、何もかも終わりにしようと、反対車線のトラックに正面から突入したらどんなに楽になるのかと思い、誘惑にかられることが何度もありました。でも残された家族のことを考えると、できませんでした。私自身、腰と腕が痛み、これ以上の自宅介護は限界があると思い、平成17年有料老人ホームに入居させました。
それから約3年、妻は終末期を迎えたので、今は自宅介護に戻しました。あの時、反対車線に行かないでよかったと思います。いま、妻は一言も言葉を発しませんが、私の顔を見るとニコニコしています。残された日々、何か幸せも感じています。
Posted by 2人3脚 at 08:53│Comments(0)
│介護者からの渾身のメッセージ集